Sustainability サステイナビリティーとは?東京湾のスズキ資源減少をきっかけに考えてみる

2016年 6月 17日 - カテゴリー: 釣りのヒント集

Sustainability サステイナビリティーとは?東京湾のスズキ資源減少をきっかけに考えてみる

Sustainable resource (サステイナブル リソース)という言葉を聞いた事があるだろうか?持続的に利用可能な資源の事を言う英語だ。環境問題に敏感な欧米諸国でここ10数年日常生活においても見かける事の非常に多い単語となってきている。

2016年6月15日に、釣り人が水産庁に資源管理を訴えるデモに参加した。昨年の8月3日のデモに引き続き、2度目の参加だ。具体的には絶滅危惧種の太平洋クロマグロの産卵期の巻き網漁に対する抗議デモだ。私は多くのデモ参加者と違い、太平洋クロマグロを狙う釣りは今のところしていない。なぜデモに参加するかと言うと、日本の水産資源管理のありかたを、皆が注目しやすいマグロをきっかけに変えた方が良いと思っているからだ。問題はマグロだけではない。

デモ参加後、早稲田大学で資源管理のシンポジウムがあり、せっかくの機会なので聞きに行った。シンポジウムのタイトルは「ほんとうに持続可能な「水産資源管理認証エコラベルあり方検討会」国際シーフードサミット イノベーション部門ファイナリスト選出記念シンポジウム ~ W-BRIDGE 第2領域報告会・・・と言う、なんとも長いタイトルを背負ったシンポジウムだった。

タイトルを見るだけで眠くなってしまう方もいるかも知れないが内容は非常に興味深く、何年かぶりに大学の教室で先生方の講演を聞く事が出来て非常に有意義な時間を過ごせた。そして、一釣り船の船頭なりに学ぶ所や思う所があったので、当船にも関係する話に結び付けて書き綴ってみようと思う。

先進各国で必要とされるSustainability

シンポジウムで聞いたところによると、ロンドンオリンピックでは、選手や関係者にSustainable resourceを元に作られたモノであるとのお墨付きの食材が提供され、来るリオオリンピックでは食材の全てがSustainable Resourceを元に作られる予定となっている。Sustainable resourceとは、持続的に利用可能な資源の事。現在の資源状態もさることながら、その資源の利用方法(水産資源の場合は捕獲方法や捕獲量)を続けても資源が枯渇する事が無いと認められた資源。10年前には地球上全ての人間が先進各国の人と同じレベルの生活をしたら、地球があといくつか必要とまで言われた。そう揶揄された先進各国は、資源を枯渇させない有効利用の方法を模索し、その取り組みが進んで来た。

しかし、日本では特に水産資源に関しては漁業者に与えてしまった既得権の扱いに戸惑い、一向に持続的に利用可能な資源管理が進まない。日本の水産資源量の多くが低位にあり、更なる乱獲が進んでいる。このまま行けば2020年の東京オリンピックでは世界基準で認められるSustainable resourceを元に作られた食事を提供出来ないという事になってしまう。

過去10数年で築き上げた先進各国の努力の流れを断ち切ってしまう事になってしまう。日本は招致活動の際に、Sustainable Resourceを使った食料を使うと言っていたのだが、日本は全然準備が出来ていない。少なくとも、世界に認められる水準での準備が出来ていない。

世界基準で求められているSustainability(持続可能である事)とは、自称Sustainableであってはならない。勿論、今回のオリンピックでも科学的根拠に基づく透明性のある審査によって証明されたSustainabilityが求められている。先のシンポジウムでも取り上げられていたMSC等の国際的に認められた認証基準を満たした水産認証エコラベル等を取り入れて、厳格な審査をクリアしたモノだけがSustainable resourceとして認められ、提供されるべきなのだが、日本はどうやら水産業界が独自の曖昧で不透明な審査を元に認証エコラベルを作り上げて、それを普及させようという動きがある様だった。

勿論、品格のある先生方はそれを一方的に切り捨てずに、海外で普及している認証エコラベルとの比較を解り易く紹介して下さった上で、日本独自の水産エコラベルの改善点等も上げていたのだが、私は心の中では世界に背を向け恥を晒す日本水産業界のやり方に反吐が出る思いで講演を聞いていた。世界に既に出来上がっているエコラベルを導入すれば良いモノを、天下り団体を築き上げ、出来るだけ都合の良い様に・・・と、審査基準を不透明で曖昧にした上で、Sustainableですとのお墨付きラベルを出してしまう。恥ずかしいぞ、日本。

是非ともオリンピックがきっかけとなり、日本も「日本には独自の・・・」等と言い訳せずに、世界水準の水産資源管理が行われる様になって欲しいと切に願う。

釣りとSustainability - 資源には限りがある -

釣り船の船頭が書くこの様な雑記になんでこんな小難しい話が登場するのかと言うと、我々釣り人が普段から遊び相手になって貰っている魚達も捕り過ぎれば、釣り過ぎれば居なくなってしまうのは当然の、限りのある資源だからだ。

資源は無限では無い。我々の目には無限の広さがある様に感じる海でも、特定の魚が住める環境が整っている場所は本当にごく一部で、良い条件が整った場所にわれわれ釣り人は足を向ける。そして大量に集まった魚を見て、目の前にこれだけ居るなら、広い海には無限に魚が居る・・・と、勘違いをしてしまう。そうでは無い。魚が居る場所に、釣り人も集まっている、ただそれだけの事。皆も魚が居る場所を選んで釣りに行っているはずだ。居ない場所で釣りをすれば釣れないからこそ、経験豊富で魚の居る場所に連れて行ってくれる船長の居る船を選んで乗る。魚がどこにでも、無限に居る訳では無い事は実は多くの釣り人が意識のある無しに関わらず、しっかりと理解している事だと思う。

魚を一匹殺せばその水域から魚が一匹減る。資源の利用は単純な引き算である。ぱっと見には見えない水の中だから、そんな単純明快な事すら人はなかなか想像しようともしない。どんなに多い様に見えても、資源には限りがあり、獲れば減る。釣れば釣るだけ減っていく。しかし多くの魚の場合、年間にただ一時期、産卵期になればまた産卵し増えるのは事実。仲間が減れば、その種類の魚が住める場所や餌は増え、また数を増やす環境が整う。減った分だけ増えるのが自然の再生力で、この再生力の範疇で水産資源を利用する事を、Sustainable use of fisheries resources(水産資源の持続的利用)と呼ぶ。

東京湾のスズキの現状

少なくとも過去5年間、東京湾のスズキの数は減り続けている。東京湾はスズキにとって住み心地の良い環境が整っていて、一時期はそこかしこに大規模な群れがあり、それこそ無限に居るのでは?と思う程の資源量だった。それだけ豊富にいたスズキも、遊漁、職漁共に全く規制の無い状態で獲り放題に獲っていたら、減ってしまった。群れの数も明らかに減った。群れの規模も目に見えて小さくなった。日々、魚群探知機で群れの数と群れの規模を見ている我々スズキを狙う釣り船の船長は言わないだけで、皆、知っているはずだ。スズキは減り続けている。私が見ているだけでも、あんなに釣り散らかし、獲り散らかしていたら減るのは当たり前である。資源は無限では無いのだ。東京湾のスズキの資源量の現状は、乱獲が続き危機的とまではいかないにしろ、急激に数を減らしている、極めて憂慮すべき状態なのだ。

魚は多少減っても同じだけ釣れるし捕れる

魚が減ったら釣れなくなると思う方が大多数だと思うが、実は魚がある程度減っても魚は今までと同じだけ釣れる。シーバス船と呼ばれる専業の船の釣果に影響は無い。減ったとは言え、居る場所を的確に探し出して狙えば、今までと同じだけ釣れるからだ。魚がかなり減ってきても、効率的に狙えば同じだけ釣れる。日々、スズキを狙っている船の船長さん達は本当に腕も経験値も素晴らしい。魚がこれだけ減っても、何事も無かった様に今までと同じだけお客さんに魚を釣らせている。

漁業も漁法にもよるが、基本的には同じだ。資源量が減ったからといって、規制が無ければ漁獲量は減らない。魚が減った分だけ頑張って漁をすれば同じだけ捕れるのだ。どんなに太平洋クロマグロは減ったと言っても、スーパーには平然と太平洋クロマグロが並び続けている。ウナギも同じで、絶滅が心配される程に減っても、スーパーには平然とウナギが並ぶ。以前より値段が上がった分、特に貴重な国産の天然モノ等は絶滅危惧にも関わらず値が高すぎて売れ残り、おつとめ品として破棄寸前になっている姿を見かける。どんなに絶滅危惧になっても、平然とスーパーに並ぶ魚を見て、消費者に危機意識を持てと言う方が難しい。一般人はそもそも魚を店頭でしか目にしない。店頭に並ぶ魚の量が、資源量のイメージとなっているケースも少なくないと思う。

危機的なまでに激減して、やっと捕れなくなる

ここ1~2年、東京湾でスズキを狙う船の釣果が明らかに落ちた。船長さん達が腕と経験値でカバーするにも限界が見えてきたと個人的には思う。捕り過ぎ、釣り過ぎに歯止めがかからず、ついに百戦錬磨の専業の船ですら釣果が振るわない日が出てきたのだ。魚があまりにも減った。勿論、まだ居る所にはまとまった数のスズキが居る。楽しい釣りは成立する。そこに釣り船が集まる。他に、良い場所があまり無いので、少し位喰いが悪くなっても釣り続ける。それこそ、根こそぎ釣り切るまで釣り続ける船が多い。悪循環の始まりの様に感じる。

今までは、ある場所に魚の群れが入れば、群れが移動して抜けるまでは暫く釣れ続いた。大場所であれば、群れが移動するまで釣り切る事の無い量の魚が居たのだ。しかも、群れはそこかしこにあったので、少し喰いが落ちれば移動して、一つの群れを釣り尽す様な狙い方はしなかった。しかし、最近は群れが移動する前に釣れる魚を大部分は釣り切ってしまった・・・と感じる事が多々ある。前述の通り、他に良い場所のあても少なくなっているので、少し喰いが落ちても粘ってしまう。勿論、ルアーという非常に効率の悪い魚の獲り方なので、100%根こそぎと言う訳では無いが、それでも連日投げつつければ楽しい釣りが成立しなくなる程度には釣り切ってしまう事が出てきた。

釣果が振るわなかったのは、今日の条件が悪かったから?

殆どの釣り船は、魚が減りましたと言わない。釣れない原因に、潮、天気、濁り潮、澄み潮、ベイト過多、ベイト不在等、様々な要因をあげる。勿論、接客業なので、客の腕が悪いとも言わない。釣れない理由は明日変わる可能性のある条件のせいにすれば、明日は釣れるかも・・・、自分が釣りをすれば釣れたかも・・・と考え、お客さんは来るからだ。しかし、魚が居ないから釣れません・・・とは言わない。居ないならお客さんは来ない。魚を見つけきれませんでしたとは言わない。魚を探せない船にはお客さんは来ないからだ。だから釣果の振るわない日は自然条件のせいにする。魚が居なくなったとは言わない。唯一するのは昔話。魚が減った要因の一部を担った当事者が、他人事の様に昔は良かったよね~と、懐かしむ様に話す。

私は魚が減ったと口にする。釣り船、釣り人にも責任があると言う。馬鹿や馬鹿正直だけが理由ではなく、現状を多くの人々に知って貰い、未来に向けての資源の維持管理に協力して欲しいから。私には可愛い息子がいる。私が心から楽しいと感じた東京湾のシーバス釣りを、いつか息子を含め、次世代の人々に同じように体験して欲しいから、このまま減り続けて貰っては困るのだ。当船で皆様に協力して頂いているサイズリミット・バッグリミットも状況の悪化につれ、どんどん厳しくせざるを得なかったが、ほどんどのお客さんが嫌な顔せずに協力してくれている。内心は嫌な顔をしているのかも知れないが、少なくともそう言うルールがあるのなら守りますと言う釣り人が多い事の証明でもある。しかし、一釣り船がバッグリミットやサイズリミットを独自に設けて守って貰っても、効果が微々たるモノだと言う事は痛い程に認識している。しかし、何もしない訳にはいかない。

当船が導入しているサイズリミットとバッグリミットについては、別の記事で記述してるので、興味のある方や当船の利用者は目を通して欲しい。

一釣り船が、独自のルールを設けてお客さんの釣った魚を、その魚は逃がしてくれと言う事が、商売上はほぼマイナスでしか無い事は明らか。他船に乗れば好きなだけ釣って、好きなだけ持ち帰れるのに、当船だと逃がしてくれと言われる。楽しく過ごしている時間に、資源云々の面倒くさい理由を説明される。しかも、法的根拠は無い。現状では船長の勝手なポリシーという事になってしまう。遊びに制約が無い方がいいと思う人が多いのは当たり前だ。身を切る思いでこの様なリミットを設けてから早5年になるが、現状は悪化の一途だ。

釣り場の番人と言う役割

私は釣り船の船長として、お客様からお金を頂いているからには、出来るだけ釣って楽しんで貰いたいと思う。しかし、それと同時にこの素晴らしい釣り場(環境と資源)を利用させて貰っている立場として、この釣り場を守る責任も負っていると自負している。釣り切って、子供たちの世代に魚が残らない様な釣り方をしてはダメなのだ。そういう釣りをお客さんにさせても駄目だと思う。釣り切らない程度に場所移動をし、必要であれば、説明する責任も負っている。ルールが必要ならば、行政に働きかける義務があるとも思う。しかし、一人では無力だ。ご存知の方も多いと思うが私は13年アメリカに滞在していた。そのアメリカでは、ガイドや船長は釣り場の番人だった。レギュレーションを守らせるのは当たり前だし、リリースする魚の扱いにもうるさかった。そうやって釣り場を守っているのだ。見習うべき所だと思う。勿論、レンジャーや、警察の訓練を受けた釣り専門の取締官もいた。大切な資源を未来の子供たち含め、皆が公平に利用出来る様に、資源の維持管理に務めていた。

一方、日本の釣り場では、未だに船宿の釣果情報は数字の競争。漁業かと勘違いする程の大漁を良しとする風潮がある。餌釣り船よりも、ルアーの船の方が多少はマシだが、資源の事等考えていない船が多い。キャッチ&リリースをしている船も増えてはいるが、基本的には大漁水揚げを目指す船もまだある。リリースするにしても、リリースすする魚を身体が収まらないバケツに長時間突っ込ませて喰いが落ちるから・・・と、次の移動までリリースを禁止したり。しかし、現状では私が勝手に魚の扱いが悪い等と言っても、ルールやレギュレーションは無いので、言いがかりに過ぎない。グダグダ言っている悪い奴は私と言う事になる。

現在東京湾にはまだまだ楽しいゲームが成立するだけの数のスズキは居る。しかし、このまま数釣りゲームに徹した釣り方をしたら、そして漁業も含めてこれまでと同じ様な魚の獲り方を続けていたら東京湾で今までの様な楽しい釣りが成立しなくなる日は近いと思う。

どうすれば良いのか・・・。

これだけ魚の減った原因は、魚の釣り過ぎ、魚の獲りすぎにあるのは間違い無い。必要なのは海外で導入されている様な、資源量に応じた漁獲規制。これは、遊漁だけでなく、職漁にも同時に規制をかけなければ意味が無い。利害関係者がなかなか縦に首を振らないのだろうが、私がパッと思い浮かぶ案を挙げてみる:

  • 産卵期(東京湾に於いては抱卵の始まる10月~3月上旬頃まで)の漁獲(キープ)を遊漁、職漁共に一切禁止する事
  • 産卵期はスズキを狙った漁業を禁止にする他、コノシロの巻き網漁等、混獲が多い漁は禁止する事、また、混獲があった際には速やかに水に戻す事
  • 産卵期の遊漁はキャッチ&即時リリースのみ。
  • 遊漁は通年一つのルアーにシングルバーブレスフックを2本まで
  • リリースする魚はネットインから1分以内、これを超える場合は一度水中に戻す等、魚の生存に配慮する事
  • 遊漁の際のスズキのキープは6~9月のスズキの旬の時期のみ65cm未満を一人2尾まで
  • これらを厳しい罰則を設けてしっかりと取り締まる事

パッと思い浮かぶ案・・・として、スズキの規制の例案を出したが、本来はこれらの規制は出来る限りの科学的根拠に基づいた上で、予防原則で規制をかけ、取り締まりをしっかりとして守らなければならない。ルールを作っても、取り締まりが無ければ正直者がバカを見る世の中になってしまう。アメリカでは日夜問わず、遊漁、職漁共に厳しい取り締まりが行われていて、そのおかげでそれに見合う本当に豊かな資源を維持していた。日本も本来は豊かな海を抱えている。しっかりとした規制と取り締まりによる資源管理をするだけで、多くの魚種が目を見張る復活をする事が想像に難くない。

勿論、反対意見も多く出ると思うし、もしかしたら反対意見の方が大多数かも知れない。しかし、これ位の規制をすべきでは・・・と思う程、現状が資源の悪化の一途を辿っていると感じている。そして、例え資源状態が悪化していなかったとしても、予防原則という考えに則り、これ位の規制があった方が良いと思う。

資源を持続可能な状態で有効利用すると言う事

上で述べたのは大至急必要だと感じている主に産卵期のスズキの漁獲規制だが、そもそもスズキの旬は夏である。スズキを食べるなら、旬の美味しい時期に食べるのが一番。夏場はキロ3000円以上になる事も珍しくないと聞くスズキだが、冬は産卵期にあたり、身体に蓄えた脂等の栄養分は卵巣や精巣に吸い取られ、食べても美味しくない。魚のプロはそれを知っているので当然値も下がる。冬場のスズキなんてキロ300円も付けば良い方だと聞く。実際の数字は私は漁業関係者では無いので知らない。数字は違うかも知れないが、スズキの味が落ち、価値の無い時期に大量に捕れるから・・・と、漁獲を続けるのは資源の無駄遣い以外の何物でもない。スズキはあまり美味しくないというレッテルも、こういったスズキを食べた人がつけているのだろう。資源を有効利用する事を考えると、スズキを漁獲(キープ)して良いのは6~9月の4か月で十分ではないだろうか?

魚は旬の一番値のつく時期にだけ捕れば、資源状態も良くなり良い値のモノが多く捕れる様になる。例えばブリは冬になると脂が乗り、大変美味しい。これを、幼魚の時に漁獲したり、産卵前後の初夏に巻き網や定置網で大量捕獲して安値で市場に流通させるのは非常に勿体無い。少し待てば、美味しくなり高値で売れる魚だ。最近は魚の旬等知らない人が多い。昔は魚屋で魚のプロとアレコレ相談しながら買い物していたのだろうが、今はスーパーで、貼られている値札と売り文句を鵜呑みにして買い物する。魚を見る目の無い人は、脂の無い、赤透明な身をしたワラサの切り身を、値札と天然ブリと言うステッカーを見て買ってしまう。何だったら今が旬!等と言う嘘のステッカーまで貼られる始末だ。冬に天然ブリを買おうとすると高いから買わないのだが、あっ!今ならお得!と思うのかも知れない。安くて美味しくない魚を知らずに買わされ、それを食べて育つ子供達が居る。産卵前後の漁は資源量に与えるインパクトも大きい。産卵期にそれだけ獲ってしまうから、美味しい冬の時期に魚が少なくなってしまう。元々高い値は、更に上がり、庶民の口には入らなくなる。誰も得しないシステムではないか。冬にもっと沢山獲れれば、冬場だけで比べれば値は多少なりとも下がり、庶民でも食べれる様になるかも知れない、皆が幸せである。産卵期の魚を守れるので、資源に与える影響も減らせる。

それじゃ漁業者が喰えないという話も出るかも知れない。しかし、良く考えて欲しい。もしかしたら、資源量に対し、漁業者の数が多すぎるのかも知れない。スズキだけではなく、全ての魚種で乱獲が続き、捕らなきゃ喰えないから更なる乱獲を続け、それを良しとするのは間違い。資源量に応じて持続的に利用可能な漁獲量を設定する必要があり、勿論限られた資源なので、それで喰っていける人の数が限られるのも当然の話。俺は漁師だから、喰うために魚を捕る、人よりいい生活をするためには、人よりも捕る、漁師が真面目に漁をして何が悪い!と言う時代は終わったのだ。

2020年のオリンピックを前に、日本の水産資源管理も指針転換すべきタイミングが来ている

環境保護先進国の海外では主要な魚類についてはレギュレーションが当たり前の様にあり、そして守られ、職漁、遊漁共に取り締まりも厳しい。漁場には取り締まり官が日夜問わず数多くパトロールして密漁者に目を光らせている。私はアメリカに住んでいた事があるので、現地で見て来た事として書くが、遊漁の違反者の取り締まりはアメリカはかなり真剣にやっている。平日の夜中、車で入れる場所から更に数キロ道なき道を歩いた先にある好ポイント。そんな場所にも真夜中に取り締まり官は来る。取り締まりをする立場の人も、釣りが好きだったりして、釣り人が来そうなタイミング、条件を読んで、足を使ってパトロールする。取締官とは言え、同じ釣り人。全員では無いが、人柄も良く、釣りの情報交換をしたり少しの会話に華が咲く。そして、一応決まりだから・・・と、ささっと事務的な違反が無いかのチェックをして去っていく。

取り締まりは陸の上だけでは無い。遊漁船の着岸を隠れて待ち伏せ。着岸したと同時に全員を静止させ、一斉チェック。一度、仲間が体調制限に5mm程足りていない魚をキープしていたとして厳重注意を受けた。仲間の使っていたクーラーの蓋についているメジャーで測ると、違反では無い様に見える魚だったのだが、取締官の持つ口閉じ計測のメジャーでは5mm足りていなかった。悪質では無いケースとして厳重注意に終わったのだが、30分以上色々と説明され、今回だけが特別だという事で罰金は免除してもらえた。同船者の中に、1cm前後程足りていない魚をキープしていた人数人は200ドル前後の罰金となった。そして、体調制限に満たない魚を複数所持していたアジア人グループは連行されていった。遊漁船内では道中、そして釣りの最中にも何度もレギュレーションのアナウンスがある。知らないでは済まされない。釣り船の船長は、今日は取り締まりがあるよという事を客に告げたりはしない。ルールを守らない釣り人は、その釣り場で生活をしている人々の敵なのだ。自分の商売の客だからと言って擁護はしない。

私は居合わせた事は無いが、漁業に対しても厳しい取り締まりが行われている。現行犯だけでなく、過去の違反まで追求し、禁固刑や罰金刑、船や免許の没収等、罰則は厳しい。厳しい罰則を設けると、その罰則を適応になる前に出来る限り穏便に・・・と言うのが日本らしいやり方だが、アメリカでは数年に一度は悪質な漁業違反者が捕まって禁固刑になったという話を聞く。国民の資源を一個人がルール違反をして乱獲する事を断固として許さない姿勢が伺える。アメリカでは海は漁師の物ではなく、国民の財産であり、遊漁と職漁、同じ資源維持管理の枠組みの中でどちらにも等しい権利を与え、資源を守っている。

その一方で、日本は水産庁が資源管理をある意味漁協単位に丸投げしている様な部分も多く、遊漁よりも漁業優先と公言し、各漁協が自らの利益優先で自主管理している。基本的には自由競争の漁だ。

目の前に居る魚を、自分が獲らなければ、他の誰かが獲ってしまう。自分だけ、旬の時期まで待とうと思った漁師が居ても、他の漁師が獲ってしまえば意味は無い。これを防ぐために、環境先進国の海外では早いモノ勝ちではなく、個別割り当て制度と呼ばれる資源管理方法が取り入れられている。資源量を把握し、どの程度まで漁獲したら持続可能な範囲なのかを見極めた上で、それを船毎に割り当てて、各船が値段の高くなる時期を狙って漁をするというやり方だ。捕って良い量が決められている中で、より利益を出すためには高く売れる時期を狙って捕る。より美味しく消費者に届けられる様な付加価値をつける船も出てくるかも知れない。物事が良い方向に回り始める。勿論、全くこの通りにすべきと言っている訳では無く、先進各国から学ぶべきは学び、取り入れるべきは取り入れた方が良いに決まっているという話だ。船も、漁具も、各種電子機器も進化し、魚を絶滅危機に陥らせるだけ獲る事が可能になって来た今、資源の維持管理を基本的には地方の漁協毎に自主管理させている現状は、早々に変えなければならない。

資源量に対する経済効果と言えば、遊漁に勝るモノ無し

例えば10トンのブリの群れが東京湾内に入ってきたとしよう。仮に10キロのブリが1000匹とする。この群れを、巻き網で一網打尽にしてしまえば、例えばキロ1000円で売れたとして、1000万円の価値が出る。コレを漁で獲らずに、釣り船に狙わせたとすると、一日の出船で全て獲ってしまう事は無い。群れが居る限りはその魚狙いのお客さんで船宿は賑わい、乗船一人に対し、1万円の乗船料金が発生する。一日に各船合せて100人が狙ったとすれば、一日100万円。10日で1000万円となる。100人が一人一匹づつ、10日釣れば、1000匹となるが、全員が釣れる訳では無いので確実に魚は残る。更に釣りの場合は乗船代だけでは無い。一匹の魚を釣るのに、釣り人がどれだけお金をかけている事か。竿、リール等の基本的な道具だけにとどまらず、針や糸の様な消耗品、雨具等の衣料、交通費や、船の上での食糧を買ったり等、かなりの経済効果が期待できる。漁だって漁具等の購入もあり、経済効果があるのかも知れないが、基本的に営利でやっている人は出来るだけお金をかけずに大漁を目指す。遊漁はお金に糸目をつけづに一匹釣り上げた時の感動を求める。資源量あたりの経済効果で言えば、釣りの様に非常に非効率的に魚を獲って資源を利用していれば、漁の比では無い経済効果が期待できる。しかも、釣りは非効率的に魚を獲るので、獲り尽くす事が絶対に無いとは言わないが、生息数へのダメージは巻き網等に比べて極めて少ない。これに更にサイズリミットやバッグリミット等を設定して漁獲圧を減らせば、資源量に対する経済効果は更に上昇する事になる。

水産資源の有効利用は漁業最優先でとの考えはもはや時代遅れ。例えばここ数年、相模湾のキハダ釣りが大流行している。相手はマグロ。早々釣れるモノでも無い。何度通っても一匹も釣れない。目の前で跳ねてるのに釣れない。一匹釣るまでにかけたお金が50万円以上の人が過半数なのではないかと思う。物凄い経済効果があると言える。現状ではまだ巻き網で一網打尽等の話は聞かないが、これだけの経済効果を持つ貴重な資源をルールの無いまま放置するのは勿体ないとも言える。相模湾のキハダは遊漁のみの特別区として保護する等の予防策が欲しい所だ。

日本の釣り場の現状と、アメリカの釣り場の現状

繰り返しになるが、水産資源の管理が比較的上手くいっているアメリカでは、職漁、遊漁共に年間の総漁獲量が決められており、遊漁に関しては推定でその漁獲枠を超えない様にリミットが設けられている。そのおかげで極めて豊かな漁場が残されていて、本当に良く魚が釣れる。悪い言い方をすれば、雑な仕掛けで、特段工夫しなくても魚が釣れる環境がそこにあるので、アメリカでは釣り具、釣り方の進化のスピードが極めて遅い。釣りの文化は日本よりも格段に成熟しているが、釣り具の進化は遅い。今まで釣れたやり方で、来年もまた釣れるからだ。つまり、Sustainable Fisheries(持続的な漁場)が形成されていると言う事。

日本はと言うと、水産資源の管理に関しては世界から極めて 後れを取っている事すら自覚せずに、獲れるだけ獲る事を続けてきた。日本が水産大国と言うのは、本来なら極めて豊かな漁場に恵まれているため、漁獲量が多いからであり、自由競争によって漁法や漁具が進化してきたからであって、その資源はうまく管理出来ていないと言える。獲れるだけ獲って、魚が減って割に合わなくなってきたら獲るのを止める。暫く獲らないと、また増えるのでまた獲れるだけ獲る。採算ベースで、獲りに行くに見合わない程までに減ったら、獲るのを止める事を管理しているとは言えない。遊漁に関しても、特にコマセ等の船釣りに関しては、全部キープが常識。流石に最近では未成魚はリリースと言う習慣が少しづつ浸透してきてはいるが、大物をリリースする人は極めて少ない。そして、海外と比べると、日本は本当にこれでもか!と言う位に繊細な釣りをして、やっと魚が釣れるかどうか・・・。あんまり釣れないモノだから、道具を工夫し、釣り方を工夫し頑張る。確実に世界一繊細な釣りを、世界一めまぐるしく道具を進化させながら釣っている。去年釣れた釣り方が、今年は通用しない。魚はどんどん減っている。Sustainableとは言えないどころか、落ち目であるDecliningと言う状態。 この負のスパイラルから早々に脱して、Sustainable な状態 を目指さなければならない。

大事なのは過去の評価ではなく、今後の指針

戦後の日本は急激な人口増加、そして人々の生活が驚く程のスピードで急激に豊かになるにつれ、海産物に対する需要も増え、より多くの人に、出来るだけ安価で魚を提供する事が必要となってきた。群れを一網打尽にする巻き網漁は非常に効率的な漁業で、市場に安い魚を大量に供給出来るので、市場のニーズが、そして国がこれをバックアップして増やしていった。巻き網にも大切な役割があるのがあるのはわかるが、資源の乱獲につながり、海外でも最近では様々な規制がかかっている。過去には大事な役割があったモノにも、いつか役目を終える時が来る。しかし、日本は方針の切り替えが苦手なのか、ほぼ野放しの捕り放題継続状態。環境に比較的優しいと言われる定置網漁ですら、日本の海岸線を埋め尽くすが如く、そこら中に設置してしまえば乱獲につながる。

色々と書き綴って来たが、日本の水産資源管理が全て効率重視の乱獲で失敗しているかと言えばそうでも無い。例えば、サザエやアワビ等を捕る素潜り漁。タンクを背負えば効率的な漁獲が望めるにも関わらず、それを規制し、乱獲を防いでいる。乱獲が行き過ぎれば資源の枯渇となる。そうなりやすいサザエやアワビ等は、あらかじめ非効率的な漁法だけに制限し、乱獲を防いできた歴史がある。マグロだって巻き網は規制し、非効率的かつ、混獲も少なく、魚価を高められる一本釣りのみに絞るのも手かも知れない。

日本でも、出来るだけ早い段階で主要な魚種の多くに対し遊漁・職漁共に漁獲規制と厳しい取り締まりをしなければならない。勿論、規制だけが管理では無く、他にも放流事業や生息環境の保全等も含め水産資源を持続的利用可能な状態でしっかりと管理して欲しい。この仕事は、ただのマイナーな釣り船の船長である私の仕事ではなく、水産庁の仕事だと私は認識している。勿論、現場の声として、県の水産課、水産庁、そして環境省に声を届ける努力は今後していこうと思う。話は逸れるが、水産庁は本来なら環境省の下部組織であるべきだと私は思う。絶滅危惧種の野生動物は環境省が手厚く保護をするが、絶滅危惧種のクロマグロの乱獲は水産庁が野放し。適切な資源管理が出来ないばかりでなく、資源管理を求める声に耳を傾ける気すら無い水産庁など、一度解体してしまえとすら思う。

漁業権を守り過ぎると困るのは漁師

海は漁師のモノではなく、国民の、そして地球の財産とも言うべきモノである。乱獲を続けると、最終的に困るのは漁業者自身ではないか。現状では乱獲を続けた結果、漁獲高が落ち、漁業者には様々な形補助金が充てられている。国の食卓を担う大切な仕事だから、国が手厚く保護するのは理解出来なくも無いが、国が必要な規制をかけないまま乱獲が続き、漁獲高が落ちたら税金を投入。漁獲規制をかけるにも、補償金・・・。資源管理をすべきは誰なのか?その責任は、誰がとるのか?これは漁協レベルではなく、国レベルで指揮を執って行うべき事なのだ。更には、クロマグロの様に各国の海域を渡り歩く様に回遊する様な魚種、水産資源については特に各国間で協力しながらの資源維持管理が必要とされる。

自主規制というのは、往々にして緩くなりがちで、特に広範囲を回遊する魚の様に一つの資源に対し、一方では自主規制をし、他方では乱獲を続けると言った様な不公平な状況がおこりがちである。人間の持つ漁獲能力が資源量の許容範囲を超えている今の時代、自主規制ではどうにもならないのは目に見えている。誤解を生まない様に記しておくが、未来を考え、身を切る思いで厳しい自主規制をしている地方の零細漁業者に罪は無い。変わるべきは水産庁等、ルールを作るべき立場にある中立の機関である。

漁業権という漁業者の権利があるから、国と言えども規制をかけれない、かけにくい、補償の問題が・・・等、言い訳は色々あるのだろうが、資源管理を怠って一番困るのは当事者である漁業者なのだ。特に、未来のある若い漁師が一番困っている。老害とも言える古い考えの水産学者や、自らの既得権を守る事しか考えられない勝手な漁師の顔色を窺っている時間など無い。しっかりとした資源管理を始めなければ、一番困るのは漁師達自身でもあるのだ。

そして、一番の被害者は知らぬ所で国民の財産と言うべき水産資源を枯渇させられた国民。更に言えば地球の財産とも言うべき水産資源を枯渇させたら海外からの非難も避けられないだろう。

漁業と遊漁の立場

アメリカを含め、海外では遊漁者にも漁業者と等しく権利が与えられている。勿論、それらの権利も科学的な根拠に基づく資源管理の中で、TAC(再生能力の範囲内での最大漁獲量)が決められ、遊漁者と漁業者に振り分けられた上で成り立っている訳で、どちらかに漁獲過剰等の違反があれば翌年には枠が減らされる等の対策がとられる。漁業者の水揚げ高は把握しやすいが、遊漁者の水揚げ高まである程度の正確性を持って計算されている所が素晴らしい。そう言った枠組みの中で、遊漁を含め、レジャーは国民に与えられた権利であり、遊漁者も漁業者も漁場を等しく利用する権利が与えられている。

一方、日本では漁業は遊漁よりも優先という暗黙のルール(正式なルール?)があり、こっちは仕事、お前は遊び・・・等の理由で、先に入った漁場からの退去を求められる事がある。例えば釣り船等に関して言えば、私の立場からすれば遊漁も仕事だが、水産庁から見れば漁業こそが仕事で遊漁は遊びと言う事らしく、やはり漁業が優先となってしまう。船の優先順位も、漁船が最優先、次が遊漁船、最後がプレジャーボート等と堂々と言われているが、遊漁船の立場の私は、プレジャーボートよりも優先権がある等と思った事は無い。勿論、船を商売にしている漁船や遊漁船に比べ、現場でのマナーや空けるべき距離感の感覚がズレている場合等はあり、好ましく思わない事もあるが、プレジャーボートに乗っている人も同じ基本的には同じ日本国民。更に言えば、社会への貢献度の高い高額納税者である事が殆どで、彼らのたまの余暇の日に、所詮は遊びなんだから遠慮して他所でやれ等と思った事は無いが、一般的にはそういう認識らしく、そう言った記述や発言を耳にする事も多いのが現状だ。

日本の水産資源の現状を見ると、乱獲が進み資源の枯渇が危惧される状況の魚種が多い。そんな中、水産庁の管理不行き届きとは言え、乱獲した当事者である漁師が優遇され、資源を大事にしている遊漁者がないがしろにされるのは時代遅れと言わざるを得ない。

勿論、全ての漁師が乱獲漁師でも無ければ、全ての遊漁者が資源を大事にしている訳でも無い。むしろ、逆の事が多いのかも知れない。例えば先に例に挙げたサザエ漁の盛んな地域では、種苗育成、放流、そして漁期の設定から漁法まで、厳しく、そして適切に管理されている中、遊び半分の密漁者が続々と押し寄せて大切に育てている資源を盗んで行ったら、それは海ごと閉鎖してうちの海に入るな!と言いたくなる気持ちはわかる。そして実際にそうやって守ってきた海だからこそ、ボート遊びが盛んになっても、よそ者がオラが海に入って来るのを頑なに排除しよう、排除はしなくても、歓迎はしないという漁業者のムードがあるのも理解できる。

少し話は逸れるが、貝等の放流事業を伴う地物の資源についても、海外で行われている様に採捕権を売って、規制の枠組みの中で遊漁者に捕らせてお金を捕れば損は無いはずである。完全禁止にして密漁者を排除するのではなく、今後は観光も含め、積極的に遊漁者からお金を取った上で漁獲量を決めた上で採捕させれば、上手くやれば同じ資源量でより多くの収入を得る事が出来る様になるかも知れない。漁業者がサザエやアワビを採捕するのは日々の作業なのかもしれないが、観光客にとっては余計にお金を払ってでも挑戦してみたい魅力的なアドベンチャーとなる可能性も秘めている。

今、釣り人に出来る事

話題がズレたので釣りと資源管理の方に戻そう。現時点で日本には資源管理という意味での高次元のレギュレーションが導入される日は遠い。

では、我々釣り人が今からでも出来る事は何か?根本的解決に向けてはやはりレギュレーションを求める声を上げていく事が大事なのだが、日々の釣りの中で出来る事としてはまず、何よりも少しでも魚を良い状態でリリースする事と、キープ量を減らす事が一番大事である。そして、リリースする魚については、その生存率を上げていく事も非常に重要となる。リリースする魚の生存率を上げるために色々と試行錯誤している身近な例が、管理釣り場にある。管理釣り場にはシングルバーブレスフックオンリーのレギュレーションを導入している場所が大多数だが、それでも楽しい釣りは成り立っている。針がかりの確率が減るから・・・と、客を減らした管理釣り場の話は聞かないばかりか、既に大多数の管理釣り場でシングルバーブレスフックの義務化が行われ、それでも多くの釣り人がお金を払い利用している。管理釣り場で出来る事が、海のルアーフィッシングで出来ない訳が無い。特に、東京湾のボートシーバスは、管理釣り場よりも簡単に釣れる状況に遭遇する事も多々あるのは、少しやりこんでいる釣り人なら皆が知っている事だろう。例え、フックアップしない確率が増えたとしても、バイトがあるというのは楽しいと思うのは私だけでは無いはずだ。しかし、今後資源管理が上手くいかずに魚が居なくなって、バイトすら無い・・・となると楽しめないのではないか?今の釣り、今日釣りたい魚の事ばかりを考えずに、明日、来年、10年後の釣りを考えて、出来るだけ環境負荷を減らした釣りを心がけたい。

釣り散らかさない事の大切さ

フックセッティングも含め、環境負荷を減らしながら楽しむ方法は色々あるが、道具ではなく、メンタル面で私が提唱したい事は、「釣り散らかさない」と言う事。何よりも、まずは数を追い求める事から脱するべきだ。

今日の釣り、どうだった?と聞かれたら何と答えるだろうか?楽しかった!感動した!悔しかった!そういった答えで良いのではないか?

今日の釣り、どうだった?との問いに、データを添えて回答したがるのは釣り人の悪い癖だと思う。

釣果を表すのは数字である事が殆どだが、それぞれの満足度は数字と必ずしも比例しない事は釣り人なら誰しもが知るところだろう。それなのに、なぜ数字にこだわるのだろうか?100匹釣り続ける事は、私には作業にしか思えない。一匹の魚とより深く、より濃厚に関わっていく事が、資源の有効利用にもつながる事は間違いないと思う。

例えば入れ食いの状況で、釣りが雑になる程釣らなくても良いのではないか?Sustainable Fishingを前提にした釣りの楽しみは、入れ食いの際に数を伸ばす事であってはいけない。頑張って釣った最初の一本、この釣り方で釣れるかどうか、ドキドキしながら釣った最初の一本。これこそが釣りの真の喜びであるべきで、後に釣れ続く魚の価値は低い。勿論、たまたま釣れたのか、釣れ続けるのかを確かめるために2~3匹釣りたいという気持ちはわかる。しかし、延々続ける行為は釣り人の真の姿であるべきではない。勿論、リリースする魚が全て生きる訳では無いので、リリース前提でも釣り散らかしてはいけない。特に、百戦錬磨のベテランを自負する方々は、今日はもう満足・・・と言う止め時を知る事が大事だと思う。初心者にこういう考えを押し付ける気は無いが、ベテランを自負する人は、是非考えてみて欲しい。

これらの姿勢は、釣りのプロを含め、ベテランと言われるアングラーの方々こそが、初心者の手本になるべく示していかなければならない事だ。魚の乱獲をメディアで晒したり、リリースする魚の扱いが酷いアングラーはプロ失格であり、アングラーとして未熟と言わざるを得ない。未熟な私にこう思われる位なので、余程の事だ。勿論、メディア側の意向もかなりあるので全てがプロアングラーの表現したいモノにならないのは百も承知だが、少なくともメディアに出るレベルの人々の心にはこの程度の意識はあって欲しいと切に願う。そしてそのメディアを牛耳っているスポンサー企業の方々にもこう言った意識を持って欲しいと願う。メディアやスポンサー企業の方々が、必ずしも釣りのベテランであるとは限らないどころか、ベテランとは程遠い場合も多々あるだろうが、先見性のある企業の方ならご理解頂ける物と思う。

今釣らなきゃ・・・ではなく、今あえて釣れない事をしてみなきゃ・・・

話が前後するが、上記した様に入れ食いの状態になったの時の楽しみ方は、色々ある。あえて少し外した釣れ難いルアーを使用してみたりするのも楽しみ方の一つとして提案したい。ある程度どんなルアーを投げても釣れる入れ食いというのもある。では、どこからがダメなのか?10cmのイワシを食い散らかしているスズキに対し、10cmのミノーを投げると釣れるのは当然。ここをあえて20cmのルアーで一本魚を騙してみて欲しい。普通に考えれば見切られるルアーだが、喰うのか喰わないのか?喰わないのなら、そこを何とかテクニックでカバーし、どう喰わせるか。20cmで全然ダメなら15cmはどうなのか?魚が喰う、喰わないの境界線を探してみよう。バイブレーションで入れ食いの状況で、あえてトップを投げてみる。どうすれば水面まで出てきてくれるのか・・・。そう言った楽しみ方は、釣り人としての技術を向上させるだけでなく、魚への理解も深まり、一本釣るのが大変なシブい日に一本捕るためのヒントを得る事が出来る。ただ延々と作業の様に入れ食いを味わい、数を伸ばすのはせっかく釣りの理解を深めるための好条件の無駄遣いとも言え、勿体無い事なのだ。今釣らなきゃ・・・ではなく、今あえて釣れない事をしてみなきゃ・・・なのだ。資源へのダメージは少なく、満足度は高く。これからの釣りはそういうスタンスで挑んでいくべきで、釣りの本当の楽しみというのは漁獲量を求めるのではなく、満足度を高める事であるべきなのだ。

遊漁と漁業の区切りを明確に

遊漁の楽しみのもう一つに、釣った魚を食べる楽しみがある。上にも記した様に、バッグリミットやサイズリミットを設けて釣獲制限をする必要があるのは述べたが、それと同時に遊漁で釣獲された水産資源を市場に流通されることを厳しく禁ずる必要がある。日本では漁業者は手厚く保護されているという様な事を書いたが、この部分に関しては日本の無策さは酷い。

釣り人が遊びで釣り上げた魚を市場に流通させる事は、漁師の首をしめる事に他ならないのに、日本では漁場での独占権だけ与えられてはいるが、遊漁の際に結果的に釣り上げて来た漁獲物を例えばお鮨屋さんに持ち込む事を許してしまっている。最近ではお魚買い取りシステム等と称して回転鮨屋が釣り人に魚を積極的に持ち込ませていたりもする。遊漁の魚の流通を禁止すれば、遊漁者の乱獲防止にも繋がる。売りに行けないなら、自分で消費しきれないなら、いたずらに数を釣る必要が無くなる。すし屋にあげる・・・と言った金銭を伴わない行為すらも禁止にした方が良い。遊漁の魚が流通しなければ、漁業者の捕った魚を買うしかないので、こういったルールこそが漁業者の保護となる。

 終わりに

お偉いさんが求める科学的データを基にした論文等は学者の先生達に任せるとして、知識も学も無い釣り船の船長が、思うままに文章を書いてしまった。我ながら長文、乱文、誤字脱字、その他諸々、まとまりの無いダラダラとした文章になってしまい、これに興味を持って読んで頂いた人には申し訳ない気持ちでいっぱいです。もっと文章力があれば、手短に要点を解り易く書けるのだろうが、何分普段は船の上でプカプカしている脳みそ運動不足の人間なのでご容赦願います。

2016-06-17  »  fishtokyo

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